心理测试(日文版)pdf/doc/txt格式电子书下载
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书名:心理测试(日文版)pdf/doc/txt格式电子书下载
推荐语:
作者:(日)江户川乱步著
出版社:华东理工大学出版社
出版时间:2018-05-23
书籍编号:30415869
ISBN:9787893902703
正文语种:日语
字数:36217
版次:1
所属分类:中外名著-外国名著
版权信息
书名:心理测试(日文版)
作者:(日)江户川乱步
ISBN:9787893902703
版权所有 · 侵权必究
一
蕗ふき屋や清せい一いち郎ろうが、何故なぜこれから記しるす様ような恐おそろしい悪あく事じを思おもい立たったか、その動どう機きについては詳くわしいことは分わからぬ。又また仮令たとい分わかったとしてもこのお話はなしには大たいして関かん係けいがないのだ。彼かれがなかば苦く学がく見みたいなことをして、ある大だい学がくに通かよっていた所ところを見みると、学がく資しの必ひつ要ように迫せまられたのかとも考かんがえられる。彼かれは稀まれに見みる秀しゅう才さいで、而しかも非ひ常じょうな勉べん強きょう家かだったから、学がく資しを得える為ために、つまらぬ内ない職しょくに時ときを取とられて、好すきな読どく書しょや思し索さくが十じゅう分ぶん出で来きないのを残ざん念ねんに思おもっていたのは確たしかだ。だが、その位ぐらいの理り由ゆうで、人にん間げんはあんな大だい罪ざいを犯おかすものだろうか。恐おそらく彼かれは先せん天てん的てきの悪あく人にんだったのかも知しれない。そして、学がく資しばかりでなく他ほかの様々さまざまな慾よく望ぼうを抑おさえ兼かねたのかも知しれない。それは兎とも角かく、彼かれがそれを思おもいついてから、もう半はん年としになる。その間あいだ、彼かれは迷まよいに迷まよい、考かんがえに考かんがえた揚あげ句く、結けっ局きょくやッつけることに決けっ心しんしたのだ。
ある時とき、彼かれはふとしたことから、同どう級きゅう生せいの斎さい藤とう勇いさむと親したしくなった。それが事ことの起おこりだった。初はじめは無む論ろん何なんの成せい心しんがあった訳わけではなかった。併しかし中ちゅう途とから、彼かれはあるおぼろげな目もく的てきを抱いだいて斎さい藤とうに接せっ近きんして行いった。そして、接せっ近きんして行いくに随したがって、そのおぼろげな目もく的てきが段々だんだんはっきりして来きた。
斎さい藤とうは、一いち年ねんばかり前まえから、山やまの手てのある淋さびしい屋や敷しき町まちの素人しろうと屋やに部へ屋やを借かりていた。その家いえの主あるじは、官かん吏りの未み亡ぼう人じんで、といっても、もう六ろく十じゅうに近ちかい老ろう婆ばだったが、亡ぼう夫ふの遺のこして行いった数すう軒けんの借しゃく家やから上のぼる利り益えきで、十じゅう分ぶん生せい活かつが出で来きるにも拘かかわらず、子こ供どもを恵めぐまれなかった彼かの女じょは、‘ただもうお金かねがたよりだ’といって、確かく実じつな知しり合あいに小こ金がねを貸かしたりして、少すこしずつ貯ちょ金きんを殖ふやして行いくのを此この上うえもない楽たのしみにしていた。斎さい藤とうに部へ屋やを貸かしたのも、一ひとつは女おんなばかりの暮くらしでは不ぶ用よう心じんだからという理り由ゆうもあっただろうが、一いっ方ぽうでは部へ屋や代だい丈だけでも、毎まい月つきの貯ちょ金きん額がくが殖ふえることを勘かん定じょうに入いれていたに相そう違いない。そして彼かの女じょは、今いま時どき余あまり聞きかぬ話はなしだけれども、守しゅ銭せん奴どの心しん理りは、古こ今こん東とう西ざいを通つうじて同おなじものと見みえる、表ひょう面めん的てきな銀ぎん行こう預よ金きんの外ほかに、莫ばく大だいな現げん金きんを自じ宅たくのある秘ひ密みつな場ば所しょへ隠かくしているという噂うわさだった。
蕗ふき屋やはこの金かねに誘ゆう惑わくを感かんじたのだ。あのおいぼれが、そんな大たい金きんを持もっているということに何なんの価か値ちがある。それを俺おれの様ような未み来らいのある青せい年ねんの学がく資しに使し用ようするのは、極きわめて合ごう理り的てきなことではないか。簡かん単たんに云いえば、これが彼かれの理り論ろんだった。そこで彼かれは、斎さい藤とうを通つうじて出で来きる丈だけ老ろう婆ばについての智ち識しきを得えようとした。その大たい金きんの秘ひ密みつな隠かくし場ば所しょを探さぐろうとした。併しかし彼かれは、ある時とき斎さい藤とうが、偶ぐう然ぜんその隠かくし場ば所しょを発はっ見けんしたということを聞きくまでは、別べつに確かく定てい的てきな考かんがえを持もっていた訳わけでもなかった。
‘君きみ、あの婆ばあさんにしては感かん心しんな思おもいつきだよ、大たい抵てい、縁ふちの下したとか、天てん井じょう裏うらとか、金かねの隠かくし場ば所しょなんて極きまっているものだが、婆ばあさんのは一寸ちょっと意い外がいな所ところなのだよ。あの奥おく座ざ敷しきの床とこの間まに、大おおきな紅こう葉ようの植うえ木き鉢ばちが置おいてあるだろう。あの植うえ木き鉢ばちの底そこなんだよ。その隠かくし場ば所しょがさ。どんな泥どろ坊ぼうだって、まさか植うえ木き鉢ばちに金かねが隠かくしてあろうとは気きづくまいからね。婆ばあさんは、まあ云いって見みれば、守しゅ銭せん奴どの天てん才さいなんだね’
その時とき、斎さい藤とうはこう云いって面おも白しろそうに笑わらった。
それ以い来らい、蕗ふき屋やの考かんがえは少すこしずつ具ぐ体たい的てきになって行いった。老ろう婆ばの金かねを自じ分ぶんの学がく資しに振ふり替かえる径けい路ろの一ひとつ一ひとつについて、あらゆる可か能のう性せいを勘かん定じょうに入いれた上うえ、最もっとも安あん全ぜんな方ほう法ほうを考かんがえ出だそうとした。それは予よ想そう以い上じょうに困こん難なんな仕し事ごとだった。これに比くらべれば、どんな複ふく雑ざつな数すう学がくの問もん題だいだって、なんでもなかった。彼かれは先さきにも云いった様ように、その考かんがえを纏まとめる丈だけの為ために半はん年としを費つぶやしたのだ。
難なん点てんは、云いうまでもなく、如何いかにして刑けい罰ばつを免まぬがれるかということにあった。倫りん理り上じょうの障しょう礙がい、即すなわち良りょう心しんの呵か責しゃくという様ようなことは、彼かれにはさして問もん題だいではなかった。彼かれはナポレオンの大おお掛がかりな殺さつ人じんを罪ざい悪あくとは考かんがえないで、寧むしろ讃さん美びすると同おなじ様ように、才さい能のうのある青せい年ねんが、その才さい能のうを育そだてる為ために、棺かん桶おけに片かた足あしをふみ込こんだおいぼれをWぎ牲せいに供きょうすることを、当とう然ぜんだと思おもった。
老ろう婆ばは滅めっ多たに外がい出しゅつしなかった。終しゅう日じつ黙もく々もくとして奥おくの座ざ敷しきに丸まるくなっていた。たまに外がい出しゅつすることがあっても、留る守す中ちゅうは、田舎いなか者ものの女じょ中ちゅうが彼かの女じょの命いのちを受うけて正しょう直じきに見み張はり番ばんを勤つとめた。蕗ふき屋やのあらゆる苦く心しんにも拘かかわらず、老ろう婆ばの用よう心じんには少すこしの隙すきもなかった。老ろう婆ばと斎さい藤とうのいない時ときを見みはからって、この女じょ中ちゅうを騙だまして使つかいに出だすか何なにかして、その隙すきに例れいの金かねを植うえ木き鉢ばちから盗ぬすみ出だしたら、蕗ふき屋やは最さい初しょそんな風ふうに考かんがえて見みた。併しかしそれは甚はなはだ無む分ぶん別べつな考かんがえだった。仮令たとい少すこしの間までも、あの家いえにただ一ひと人りでいたことが分わかっては、もうそれ丈だけで十じゅう分ぶん嫌けん疑ぎをかけられるではないか。彼かれはこの種しゅの様々さまざまな愚おろかな方ほう法ほうを、考かんがえては打うち消けし、考かんがえては打うち消けすのに、たっぷり一いっヶ月げつを費つぶやした。それは例たとえば、斎さい藤とうか女じょ中ちゅうか又または普ふ通つうの泥どろ坊ぼうが盗ぬすんだと見みせかけるトリックだとか、女じょ中ちゅう一ひと人りの時ときに少すこしも音おとを立たてないで忍しのび込こんで、彼かの女じょの目めにふれない様ように盗ぬすみ出だす方ほう法ほうだとか、夜よ中なか、老ろう婆ばの眠ねむっている間あいだに仕し事ごとをする方ほう法ほうだとか、其その他ほか考かんがえ得るあらゆる場ば合あいを、彼かれは考かんがえた。併しかし、どれにもこれにも、発はっ覚かくの可か能のう性せいが多た分ぶんに含ふくまれていた。
どうしても老ろう婆ばをやっつける外ほかはない。彼かれは遂ついにこの恐おそろしい結けつ論ろんに達たっした。老ろう婆ばの金かねがどれ程ほどあるかよく分わからぬけれど、色々いろいろの点てんから考かんがえて、殺さつ人じんの危き険けんを犯おかしてまで執しゅう着ちゃくする程ほど大たいした金きん額がくだとは思おもわれぬ。たかの知しれた金かねの為ために何なんの罪つみもない一ひと人りの人にん間げんを殺ころして了しまうというのは、余あまりに残ざん酷こく過すぎはしないか。併しかし、仮令たといそれが世せ間けんの標ひょう準じゅんから見みては大たいした金きん額がくでなくとも、貧びん乏ぼうな蕗ふき屋やには十じゅう分ぶん満まん足ぞく出で来きるのだ。のみならず、彼かれの考かんがえによれば、問もん題だいは金きん額がくの多た少しょうではなくて、ただ犯はん罪ざいの発はっ覚かくを絶ぜっ対たいに不ふ可か能のうならしめることだった。その為ためには、どんな大おおきなWぎ牲せいを払はらっても、少すこしも差さし支つかえないのだ。
殺さつ人じんは、一いっ見けん、単たんなる窃せっ盗とうよりは幾いく層そう倍ばいも危き険けんな仕し事ごとの様ように見みえる。だが、それは一いっ種しゅの錯さっ覚かくに過すぎないのだ。成なる程ほど、発はっ覚かくすることを予よ想そうしてやる仕し事ごとなれば殺さつ人じんはあらゆる犯はん罪ざいの中なかで最もっとも危き険けんに相そう違いない。併しかし、若もし犯はん罪ざいの軽けい重ちょうよりも、発はっ覚かくの難なん易いを目め安やすにして考かんがえたならば、場ば合あいによっては(例たとえば蕗ふき屋やの場ば合あいの如ごときは)寧むしろ窃せっ盗とうの方ほうが危あやうい仕し事ごとなのだ。これに反かえして、悪あく事じの発はっ見けん者しゃをバラして了しまう方ほう法ほうは、残ざん酷こくな代かわりに心しん配ぱいがない。昔むかしから、偉えらい悪あく人にんは、平へい気きでズバリズバリと人ひと殺ごろしをやっている。彼かれ等らが却々なかなかつかまらぬのは、却かえってこの大だい胆たんな殺さつ人じんのお蔭かげなのではなかろうか。
では、老ろう婆ばをやっつけるとして、それには果はたして危き険けんがないか。この問もん題だいにぶッつかってから、蕗ふき屋やは数すうヶ月げつの間あいだ考かんがえ通とおした。その長ながい間あいだに、彼かれがどんな風ふうに考かんがえを育そだてて行おこなったか。それは物もの語がたりが進すすむに随したがって、読どく者しゃに分わかることだから、ここに省はぶくが、兎とも角かく、彼かれは、到とう底てい普ふ通つう人じんの考かんがえ及およぶことも出で来きない程ほど、微びに入いり細さいを穿うがった分ぶん析せき並ならびに綜そう合ごうの結けっ果か、塵ちり一ひと筋すじの手て抜ぬかりもない、絶ぜっ対たいに安あん全ぜんな方ほう法ほうを考かんがえ出だしたのだ。
今いまはただ、時じ機きの来くるのを待まつばかりだった。が、それは案あん外がい早はやく来きた。ある日ひ、斎さい藤とうは学がっ校こう関かん係けいのことで、女じょ中ちゅうは使つかいに出だされて、二ふた人り共とも夕ゆう方がたまで決けっして帰き宅たくしないことが確たしかめられた。それは丁ちょう度ど蕗ふき屋やが最さい後ごの準じゅん備び行こう為いを終おわった日ひから二日ふつか目めだった。その最さい後ごの準じゅん備び行こう為いというのは(これ丈だけは前まえ以もって説せつ明めいして置おく必ひつ要ようがある)嘗かつて斎さい藤とうに例れいの隠かくし場ば所しょを聞きいてから、もう半はん年としも経けい過かした今日きょう、それがまだ当とう時じのままであるかどうかを確たしかめる為ための或ある
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