少年的悲哀(日文版)pdf/doc/txt格式电子书下载
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书名:少年的悲哀(日文版)pdf/doc/txt格式电子书下载
推荐语:
作者:(日)国木田独步著
出版社:华东理工大学出版社
出版时间:2018-05-23
书籍编号:30415866
ISBN:9787893902710
正文语种:日语
字数:8539
版次:1
所属分类:中外名著-外国名著
版权信息
书名:少年的悲哀(日文版)
作者:(日)国木田独步
ISBN:9787893902710
版权所有 · 侵权必究
少年こどもの歓喜よろこびが詩しであるならば、少年こどもの悲哀かなしみもまた詩しである。自し然ぜんの心こころに宿やどる歓喜よろこびにしてもし歌うたうべくんば、自し然ぜんの心こころにささやく悲哀かなしみもまた歌うたうべきであろう。
ともかく、僕ぼくは僕ぼくの少年こどもの時ときの悲哀かなしみの一ひとツを語かたってみようと思おもうのである。(と一ひと人りの男おとこが話はなしだした。)
僕ぼくは八やっつの時ときから十じゅう五ごの時ときまで叔父おじの家いえで育そだったので、そのころ、僕ぼくの父ふ母ぼは東とう京きょうにいられたのである。
叔父おじの家いえはその土と地ちの豪ごう家かで、山さん林りん田でん畑ぱたをたくさん持もって、家いえに使つかう男なん女にょも常つねに七しち八はち人にんいたのである。僕ぼくは僕ぼくの少年こどもの時じ代だいをいなかで過すごさしてくれた父ふ母ぼの好こう意いを感かん謝しゃせざるを得えない。もし僕ぼくが八はっ歳さいの時とき父ふ母ぼとともに東とう京きょうに出でていたならば、僕ぼくの今日きょうはよほど違ちがっていただろうと思おもう。少すくなくとも僕ぼくの知ち恵えは今いまよりも進すすんでいたかわりに、僕ぼくの心こころはヲーズヲース一巻まきより高こう遠えんにして清せい新しんなる詩し想そうを受じゅ用ようしうることができなかっただろうと信しんずる。
僕ぼくは野の山やまを駆かけ暮くらして、わが幸こう福ふくなる七しち年ねんを送おくった。叔父おじの家いえは丘おかのふもとにあり、近きん郊こうには樹じゅ林りん多おおく、川かわあり泉いずみあり池いけあり、そしてほど遠とおからぬ所ところに瀬せ戸と内ない海かいの入いり江えがある。山やまにも野のにも林はやしにも谷たににも海うみにも川かわにも、僕ぼくは不ふ自じ由ゆうをしなかったのである。
ところが十じゅう二にの時ときと記き憶おくする、徳とく二じ郎ろうという下げ男なんがある日ひ、僕ぼくに今こん夜やおもしろい所ところにつれてゆくが行いかぬかと誘さそうた。
「どこだ」と僕ぼくはたずねた。
「どこだと聞きかっしゃるな、どこでもええじゃござんせんか、徳とくのつれてゆく所ところにおもしろうない所ところはない」と徳とく二じ郎ろうは微び笑しょうを帯おびて言いった。
この徳とく二じ郎ろうという男おとこはそのころ二に十じゅう五ご歳さいぐらい、屈くっ強きょうな若わか者もので、叔父おじの家いえには十じゅう一いち二にの年としから使つかわれている孤みなし児ごである。色いろの浅あさ黒ぐろい、輪りん郭かくの正ただしい立りっ派ぱな男おとこ、酒さけを飲のめば必かならず歌うたう、飲のまざるもまた歌うたいながら働はたらくという至し極ごく元げん気きのよい男おとこであった。いつも楽たのしそうに見みえるばかりか、心こころばせも至いたって正ただしいので、孤みなし児ごには珍めずらしいと叔父おじをはじめ土と地ちの者ものみんなに、感かん心しんせられていたのである。
「しかし叔父おじさんにも叔母おばさんにも内ない証しょうですよ」と言いって、徳とく二じ郎ろうは歌うたいながら裏うら山やまに登のぼってしまった。
ころは夏なつの最も中なか、月つき影かげさやかなる夜よるであった。僕ぼくは徳とく二じ郎ろうのあとについて田たんぼにいで、稲いねの香かおり高たかきあぜ道みちを走はしって川かわの堤つつみに出でた。堤つつみは一いち段だん高たかく、ここに上のぼれば広々ひろびろとした野のづら一いち面めんを見み渡わたされるのである。まだ宵よいながら月つきは高たかく澄すんで、さえた光ひかりを野のにも山やまにもみなぎらし、野の末ずえには靄もやかかりて夢ゆめのごとく、林はやしは煙けむりをこめて浮うかぶがごとく、背せの低ひくい川かわやなぎの葉は末ずえに置おく露つゆは玉たまのように輝かがやいている。小お川がわの末すえはまもなく入いり江え、潮しおに満みちふくらんでいる。船ふな板いたをつぎ合あわしてかけた橋はしの急きゅうに低ひくくなったように見みゆるのは水すい面めんの高たかくなったので、川かわやなぎは半なかば水みずに沈しずんでいる。
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