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书名:心(日文版)pdf/doc/txt格式电子书下载
推荐语:
作者:(日)夏目漱石著
出版社:华东理工大学出版社
出版时间:2018-05-23
书籍编号:30415865
ISBN:9787893902642
正文语种:日语
字数:244689
版次:1
所属分类:中外名著-外国名著
版权信息
书名:心(日文版)
作者:(日)夏目漱石
ISBN:9787893902642
版权所有 · 侵权必究
一
私わたくしはその人ひとを常つねに先せん生せいと呼よんでいた。だからここでもただ先せん生せいと書かくだけで本ほん名みょうは打うち明あけない。これは世間せけんを憚はばかる遠えん慮りょというよりも、その方ほうが私わたくしにとって自し然ぜんだからである。私わたくしはその人ひとの記き憶おくを呼よび起おこすごとに、すぐ「先せん生せい」といいたくなる。筆ふでを執とっても心こころ持もちは同おなじ事ことである。よそよそしい頭かしら文も字じなどはとても使つかう気きにならない。
私わたくしが先生せんせいと知しり合あいになったのは鎌倉かまくらである。その時とき私わたしはまだ若わか々わかしい書しょ生せいであった。暑しょ中ちゅう休きゅう暇かを利り用ようして海かい水すい浴よくに行いった友とも達だちからぜひ来こいという端は書がきを受うけ取とったので、私わたくしは多た少しょうの金かねを工く面めんして、出で掛かける事ことにした。私わたくしは金かねの工く面めんに二に、三さん日ちを費ついやした。ところが私わたくしが鎌かま倉くらに着ついて三日みっかと経たたないうちに、私わたくしを呼よび寄よせた友とも達だちは、急きゅうに国くに元もとから帰かえれという電でん報ぽうを受うけ取とった。電でん報ぽうには母ははが病びょう気きだからと断ことわってあったけれども友とも達だちはそれを信しんじなかった。友とも達だちはかねてから国くに元もとにいる親おやたちに勧すすまない結けっ婚こんを強しいられていた。彼かれは現げん代だいの習しゅう慣かんからいうと結けっ婚こんするにはあまり年どしが若わか過すぎた。それに肝かん心じんの当とう人にんが気きに入いらなかった。それで夏なつ休やすみに当とう然ぜん帰かえるべきところを、わざと避さけて東とう京きょうの近ちかくで遊あそんでいたのである。彼かれは電でん報ぽうを私わたくしに見みせてどうしようと相そう談だんをした。私わたくしにはどうしていいか分わからなかった。けれども実じっ際さい彼かれの母ははが病びょう気きであるとすれば彼かれは固もとより帰かえるべきはずであった。それで彼かれはとうとう帰かえる事ことになった。せっかく来きた私わたくしは一ひと人り取とり残のこされた。
学がっ校こうの授じゅ業ぎょうが始はじまるにはまだ大だい分ぶ日ひ数かずがあるので鎌かま倉くらにおってもよし、帰かえってもよいという境きょう遇ぐうにいた私わたくしは、当とう分ぶん元もとの宿やどに留とまる覚かく悟ごをした。友とも達だちは中ちゅう国ごくのある資し産さん家かの息むす子こで金かねに不ふ自じ由ゆうのない男おとこであったけれども、学がっ校こうが学がっ校こうなのと年としが年としなので、生せい活かつの程てい度どは私わたくしとそう変かわりもしなかった。したがって一ひと人りぼっちになった私わたくしは別べつに恰かっ好こうな宿やどを探さがす面めん倒どうももたなかったのである。
宿やどは鎌かま倉くらでも辺へん鄙ぴな方ほう角がくにあった。玉たま突つきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長ながい畷なわてを一ひとつ越こさなければ手てが届とどかなかった。車くるまで行いっても二に十じゅう銭せんは取とられた。けれども個こ人じんの別べっ荘そうはそこここにいくつでも建たてられていた。それに海うみへはごく近ちかいので海かい水すい浴よくをやるには至し極ごく便べん利りな地ち位いを占しめていた。
私わたくしは毎まい日にち海うみへはいりに出で掛かけた。古ふるい燻くすぶり返かえった藁わら葺ぶきの間あいだを通とおり抜ぬけて磯いそへ下おりると、この辺へんにこれほどの都と会かい人じん種しゅが住すんでいるかと思おもうほど、避ひ暑しょに来きた男おとこや女おんなで砂すなの上うえが動うごいていた。ある時ときは海うみの中なかが銭せん湯とうのように黒くろい頭あたまでごちゃごちゃしている事こともあった。その中なかに知しった人ひとを一ひと人りももたない私わたしも、こういう賑にぎやかな景け色しきの中なかに裹つつまれて、砂すなの上うえに寝ねそべってみたり、膝ひざ頭がしらを波なみに打うたしてそこいらを跳ははね廻まわるのは愉ゆ快かいであった。
私わたくしは実じつに先せん生せいをこの雑ざっ沓とうの間あいだに見付みつけ出だしたのである。その時とき海かい岸がんには掛かけ茶ぢゃ屋やが二に軒けんあった。私わたくしはふとした機会はずみからその一いっ軒けんの方ほうに行いき慣ななれていた。長は谷せ辺へんに大おおきな別べっ荘そうを構かまえている人ひとと違ちがって、各めい自めいに専せん有ゆうの着き換がえ場ばを拵こしらえていないここいらの避ひ暑しょ客きゃくには、ぜひともこうした共きょう同どう着き換がえ所しょといった風ふうなものが必ひつ要ようなのであった。彼かれらはここで茶ちゃを飲のみ、ここで休きゅう息そくする外ほかに、ここで海かい水すい着ぎを洗せん濯たくさせたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清きよめたり、ここへ帽子ぼうしや傘かさを預あずけたりするのである。海かい水すい着ぎを持もたない私わたくしにも持に物もつを盗ぬすまれる恐おそれはあったので、私わたくしは海うみへはいるたびにその茶ちゃ屋やへ一いっ切さいを脱ぬぎ棄すすてる事ことにしていた。
二
私わたくしがその掛かけ茶ぢゃ屋やで先生せんせいを見みた時ときは、先生せんせいがちょうど着き物ものを脱ぬいでこれから海うみへ入はいろうとするところであった。私わたくしはその時とき反はん対たいに濡ぬれた身体からだを風かぜに吹ふかして水みずから上あがって来きた。二ふた人りの間あいだには目めを遮さえぎる幾いく多たの黒くろい頭あたまが動うごいていた。特とく別べつの事じ情じょうのない限かぎり、私わたくしはついに先せん生せいを見み逃のがしたかも知しれなかった。それほど浜はま辺べが混こん雑ざつし、それほど私わたくしの頭あたまが放ほう漫まんであったにもかかわらず、私わたくしがすぐ先せん生せいを見み付つけ出だしたのは、先せん生せいが一ひと人りの西せい洋よう人じんを伴つれていたからである。
その西せい洋よう人じんの優すぐれて白しろい皮膚ひふの色いろが、掛かけ茶ぢゃ屋やへ入はいるや否いないなや、すぐ私わたくしの注ちゅう意いを惹ひいた。純じゅん粋すいの日に本ほんの浴衣ゆかたを着きていた彼かれは、それを床しょう几ぎの上うえにすぽりと放ほうり出だしたまま、腕うで組ぐみをして海うみの方ほうを向むいて立たっていた。彼かれは我われ々われの穿はく猿さる股また一ひとつの外ほか何なに物ものも肌はだに着つけていなかった。私わたくしにはそれが第だい一いち不ふ思し議ぎだった。私わたくしはその二ふつ日か前まえに由ゆ井いが浜はままで行いって、砂すなの上うえにしゃがみながら、長ながい間あいだ西せい洋よう人じんの海うみへ入はいる様よう子すを眺ながめていた。私わたくしの尻しりをおろした所ところは少すこし小こ高だかい丘おかの上うえで、そのすぐ傍わきがホテルの裏うら口ぐちになっていたので、私わたくしの凝じっとしている間あいだに、大だい分ぶ多おおくの男おとこが塩しおを浴あびに出でて来きたが、いずれも胴どうと腕うでと股ももは出だしていなかった。女おんなは殊こと更さら肉にくを隠かくしがちであった。大たい抵ていは頭あたまに護ゴ謨ム製せいの頭ず巾きんを被かぶって、海え老び茶ちゃや紺こんや藍あいの色いろを波なみ間まに浮うかしていた。そういう有あり様さまを目もく撃げきしたばかりの私わたくしの眼めめには、猿さる股また一ひとつで済すまして皆みんなの前まえに立たっているこの西せい洋よう人じんがいかにも珍めずらしく見みえた。
彼かれはやがて自じ分ぶんの傍わきを顧かえりみて、そこにこごんでいる日に本ほん人じんに、一ひと言こと二ふた言こと何なにかいった。その日に本ほん人じんは砂すなの上うえに落おちた手て拭ぬぐいを拾ひろい上あげているところであったが、それを取とり上あげるや否いなや、すぐ頭あたまを包つつんで、海うみの方ほうへ歩あるき出だした。その人ひとがすなわち先生せんせいであった。
私わたくしは単たんに好こう奇き心しんのために、並ならんで浜はま辺べを下おりて行いく二ふた人りの後うしろ姿すがたを見み守まもっていた。すると彼かれらは真まっ直すぐに波なみの中なかに足あしを踏ふみ込こんだ。そうして遠とお浅あさの磯いそ近ちかくにわいわい騒さわいでいる多た人にん数ずうの間あいだを通とおり抜ぬけて、比ひ較かく的てき広ひろ々びろした所ところへ来くると、二ふた人りとも泳およぎ出だした。彼かれらの頭あたまが小ちいさく見みえるまで沖おきの方ほうへ向むいて行いった。それから引びき返かえしてまた一いっ直ちょく線せんに浜はま辺べまで戻もどって来きた。掛かけ茶ぢゃ屋やへ帰かえると、井戸いどの水みずも浴あびずに、すぐ身体からだを拭ふいて着き物ものを着きて、さっさとどこへか行いってしまった。
彼かれらの出でて行いった後あと、私わたくしはやはり元もとの床しょう几ぎに腰こしをおろして烟草タバコを吹ふかしていた。その時とき私わたくしはぽかんとしながら先せん生せいの事ことを考かんがえた。どうもどこかで見みた事ことのある顔かおのように思おもわれてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会あった人ひとか想おもい出だせずにしまった。
その時ときの私わたくしは屈くっ托たくがないというよりむしろ無ぶ聊りょうに苦くるしんでいた。それで翌日あくるひもまた先せん生せいに会あった時じ刻こくを見み計はからって、わざわざ掛かけ茶ぢゃ屋やまで出でかけてみた。すると西せい洋よう人じんは来こないで先せん生せい一ひと人り麦むぎ藁わら帽ぼうを被かぶってやって来きた。先せん生せいは眼鏡めがねをとって台だいの上うえに置おいて、すぐ手て拭ぬぐいで頭あたまを包つつんで、すたすた浜はまを下おりて行いった。先せん生せいが昨日きのうのように騒さわがしい浴よっ客きゃくの中なかを通とおり抜ぬけて、一ひと人りで泳およぎ出だした時とき、私わたくしは急きゅうにその後あとが追おい掛かけたくなった。私わたくしは浅あさい水みずを頭あたまの上うえまで跳はねかして相当そうとうの深ふかさの所ところまで来きて、そこから先せん生せいを目め標じるしに抜ぬき手でを切きった。すると先せん生せいは昨日きのうと違ちがって、一いっ種しゅの弧こ線せんを描えがいて、妙みょうな方ほう向こうから岸きしの方ほうへ帰かえり始はじめた。それで私わたくしの目もく的てきはついに達たっせられなかった。私わたくしが陸おかへ上あがって雫しずくの垂たれる手てを振ふりながら掛かけ茶ぢゃ屋やに入はいると、先せん生せいはもうちゃんと着き物ものを着きて入いれ違ちがいに外そとへ出でて行いった。
三
私わたくしは次つぎの日ひも同おなじ時じ刻こくに浜はまへ行いって先せん生せいの顔かおを見みた。その次つぎの日ひにもまた同おなじ事ことを繰くり返かえした。けれども物ものをいい掛かける機き会かいも、挨あい拶さつをする場ば合あいも、二ふた人りの間あいだには起おこらなかった。その上うえ先せん生せいの態たい度どはむしろ非ひ社しゃ交こう的てきであった。一いっ定ていの時じ刻こくに超ちょう然ぜんとして来きて、また超ちょう然ぜんと帰かえって行いった。周しゅう囲いがいくら賑にぎやかでも、それにはほとんど注ちゅう意いを払はらう様よう子すが見みえなかった。最さい初しょいっしょに来きた西せい洋よう人じんはその後ごごまるで姿すがたを見みせなかった。先せん生せいはいつでも一ひと人りであった。
或ある時とき先せん生せいが例れいの通とおりさっさと海うみから上あがって来きて、いつもの場ば所しょに脱ぬぎ棄すてた浴衣ゆかたを着きようとすると、どうした訳わけか、その浴衣ゆかたに砂すながいっぱい着ついていた。先せん生せいはそれを落おとすために、後うしろ向むきになって、浴衣ゆかたを二に、三さん
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