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书名:日语古典文法pdf/doc/txt格式电子书下载

推荐语:

作者:徐曙著

出版社:华东理工大学出版社

出版时间:2016-01-27

书籍编号:30222765

ISBN:9787562843863

正文语种:中文

字数:370000

版次:1

所属分类:外语学习-日语

全书内容:

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前言


むかし男ありけり。その男、身を要えうなきものに思ひなして、京きやうにはあらじ、東あづまの方かたに住むべき国求めに、とて行ゆきけり。もとより友とする人ひとりふたりして行きけり。道知れる人もなくて、まどひ行いきけり。三み河かはの国八やつ橋はしといふ所にいたりぬ。……


ムカシ[ヒトリノ]男ガアッタ。ソノ男ハ、ワガ身ヲツマラナイ者ニ思イコンデ、京ニハ居ルマイ、東国ノ方ニ住ムニフサワシイ国ヲ求メニ、[行コウ]、トイッテ出カケタ。以前カラ友ダチトスル人ヒトリフタリデ行ッタ。道ヲ知ッテイル人モナクテ、サマヨイナガラ行ッタ。三河ノ国八橋トイウ所ニ到着シタ。……


上述文章分别是日本平安时代的作品《伊势物语》中的一节及其现代日语的译文。对照一下可以发现,两段文章共同的用词很多,文章结构也相似,但普通日语学习者却无法很顺畅地读懂前面的古文。日语古文中有着现在已经不再使用的词汇,还有与现代日语语义不同的词汇。尤其是助动词、助词与现代日语区别很大,用言的变化形式也不同于现代日语。因此,阅读古典作品,需要借用辞典等来了解不明单词的词义,同时还必须了解、掌握古典作品中用言的变化及助动词、助词的用法。本书就是为满足日语学习者及日语教学者的此种需求而编写的。希望日语古典语法的学习能成为读者对日语本身进行重新审视的契机。


“日语古典语法”是日语专业的核心课程,在日语专业八级考试及报考日语专业研究生的考试中,日语古典语法也为必考内容。


古文语法乃现代语法之基础,语法是构成文章骨架的基本理论。文章的正确理解及表达是要依靠语法来保证的。对于日语专业的学生以及从事日语教学工作的教师来说,要真正掌握好日语、了解并理解日本文学、日本文化等专业知识,日语古典语法及古典作品的学习是必不可少的。


一般来说,语法学习有研究性学习与实践性学习两种。语法的研究性学习是专家学者的学习,而实践性学习则是用语法或借助语法来学习,是学习语法的运用方法或规则。在日语古典语法的教学中,应该对学生强调实践性学习。学生在阅读理解日语古文时所需要的语法知识应该通过实践性学习来掌握。学生需要了解古文语法的基本规则,但不必花很大精力对古文语法进行专业性的学习。古文语法的教学不能让学习者因为学习内容过于理论化而失去兴趣。因此,本书在编写过程中,始终贯彻实践性学习这一原则,尽量挑选日语古典作品中比较精彩有趣的文章及诗歌作为解释说明古文语法的实例,目的是让学习者在了解日语古典语法规则的同时,欣赏到日本古典作品的精彩有趣之处。考虑到学习者在今后考研或从事翻译工作时,难免会遇到我国古典精品唐诗宋词及成语谚语的日译,本书在后半部分特意编著了“汉文训读”章节,将我国古文中的名作佳篇及唐诗宋词中的经典诗句作为日译的实例,促进学生掌握日语古典语法的要领。


本书每一章节后面都配有练习实例,这些练习的完成结果也是检验学习者日语古典语法基本素养和文化底蕴的一个参数。


本书在编著过程中,得到作者的友人、日本国大阪大学前教授宫崎和夫先生和同济大学日语系吴侃教授对本书书稿进行了仔细的审阅和指导,参加本书编写的人员还有叶圣超、段睿珏、胡悦、赵文暖。在此表示由衷谢意。


徐曙
2016年1月1日

第一章 古文の基礎知識


古典の文学が現代の文学に影響を及ぼし、古典のことばが現代語の基になっていることは、特に日本に限ったことではなく、世界の文学、言語がすべてそれぞれの歴史の上に成り立っていることは言うまでもない。現代人として、昔の人のものの考え方やとらえ方、また、文化や生活を受け継いでいくことは大変重要なことである。しかしながら、ここで障害となるのが、言葉の問題である。古典に使われていることば(文語)は、現在使われていることば(口語)とは少し違っているために、つい、古典に対してしりごみをしがちである。このことばの障害も、必要最小限の古典文法の知識があれば、簡単に取り除くことができる。たとえば、「秋は来ぬ」という文がある。どのような読み方をして、どのような意味なのか、これは、「来」という動詞と「ぬ」という助動詞についてのちょっとした知識があれば、簡単に理解することができる。


口語には口語の決まりがあるように、文語にも文語の決まり、すなわち古典文法がある。それは、一つの体系をもっている。例えば、品詞というものは、古典に用いられる単語を、いろいろな観点を設定して、分類·整理したものである。この分類によって、個々のことばのはたらきを体系的に理解することができる。また、例えば、品詞の一つである助動詞も、その意味に着目して、分類·整理することができる。一つ一つの助動詞の意味や用法をバラバラに覚えるよりも、それぞれの語の基本的な意味や用法を比較·関連させて学習すると、理解しやすくなる。


ことばは、それを使う人のもののとらえ方の反映である。古典文法は、昔の人のもののとらえ方の体系であるとも言える。古典文法を知ることは、そのようなことばを生み出した昔の人の思考の体系を知ることでもある。例えば、口語の場合と違って、文語では、推量の助動詞が非常に発達している。学者によれば、これは、ものごとを断定的に述べるよりも、遠回しにやわらかく述べることを第一とする考え方が、平安時代にはあったからだと説明されている。古典文法の知識をただ丸暗記するのではなく、ことばの決まりの背後にある、昔の人のもののとらえ方を想像したり考えてみたりするようにすると、文法の学習が楽しくなる。


古典といえども、いままで習ってきたのと同じ日本語である。ことばの性質に違いはない。まず、理解しようという姿勢をもつことから始めよう。

第一節 古文の仮名遣い


古文をはじめて学ぶとき、どういうところが読みにくいかというと、古典の言葉に慣れていないので読みにくいということを別にすれば、まず、そのかなづかいが現代文のかなづかいと違うという点が考えられる。


古文は古典かなづかい(歴史的かなづかい)で書いてあるから、まずその読み方になれることが必要である。それについて、まず注意されるのは、ハヒフヘホの仮名である。現代文でも、助詞の「は」や「へ」は、こう書いてワ·エと読むが、古文では、そればかりでなく、


かは、(川) こひ、(恋) 食ふ、 いへ、(家) おほ、かた


というように、語中·語尾にある「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」は、ワ·イ·ウ·エ·オと読むのが原則である。これらは、もともとはそのかなの通り発音されたものである。(といっても、それは両くちびるを突き出すようにして、ファ·フィ·フゥ·フェ·フォというように発音されたと言われている。)それが、後世ワ·イ·ウ·エ·オのように発音されることになったのだが、かなはもとのままに書いているということなのである。それで、現代語ではワ·ア行五段活用(ワイウエ活用)の「思う」「言う」などは、古文では「思ふ」「言ふ」で、ハ行四段(ハ·ヒ·フ·ヘ)活用となるが、読むのには現代語と同じような発音になるのである。


上の原則にはずれるものとして「はなはだ」「あふる」「行かまほし」などがある。また、語の最初に「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」を持つ語が、複合語の下の成分となっている場合は、その「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」をワ·イ·ウ·エ·オと読まない場合が多い。


はつはる(初春)
かぐやひめ(かぐや姫)
をりふし(折節)
なかへだて(中隔)
かりほ(刈り穂)


これには、次のような四つの法則がある。


(1)アウ が オー となる。(au→o)


会ふ → オー
かう→ コー
たまふ → タモー
あふみ(近江)→ オーミ


(2)イウ が ユー となる。(iu→yu)


言ふ → ユー
久しう → ヒサシュー


(3)エウ が ヨー となる。(eu→yo)


えう(要)→ ヨー
てうづ(手水)→ チョーズ
てふ(蝶)→ チョー


(4)オウ が オー となる。(ou→o)


おうな(老女)→ オーナ
こうぢ(小路)→ コージ


この法則は、ローマ字で書いてみると、わかりやすい。上の例にもあるように、この法則をあてはめるとき、ウと読むはずの「ふ」がある場合は、まずそれをウにしてから考えなければならない。


上の法則にはずれるものとして、次のようなものがある。


たふる(倒る)
あふひ(葵)
あやふし(危ふし)
あふぐ(仰ぐ)
あふぎ(扇)


これらが、タオル·アオイ·アヤウシ·アオグ·オーギと発音されるのは、アウがオーとなりきる前の発音が残ったものだろうと考えられている。


◇次の諸語は、古典語の場合と現代語の場合と、読み方が違う。


買うー買ふ(コー)
洗うー洗ふ(アロー)
舞うー舞ふ(モー)
習うー習ふ(ナロー)


古典語では、また、「い·ゐ」「え·ゑ」「お·を」のかなが区別されている。これらも、もとはそれぞれ発音の区別があったのであるが、後世区別がなくなったのである。助詞や助動詞の「む」は「ン」と発音する。助詞の場合に「を」を用いるのは、古典かなづかいの名残である。


現在日本で日常使われている言葉を「口語(口語文)」と言い、主に江戸時代まで文章として使われた言葉を「文語(文語文)」と言う。


これから学習する「古文」は、「歴史的仮名遣い」と呼ばれる表記によって書かれていて、平安時代中期にできた形が基本になっている。


「かな」は、もと「かりな」であり、その変化した形「かんな」から転じたものである。漢字では「仮字·仮名」と書いた。「な」は文字の意味であり、かりの文字という意味である。


「かな」は漢字と別なものと意識されているが、そもそも「ひらがな」は漢字の省略形から成ったものである。発生時の「かな」は、字体は漢字のままであった。字体は漢字のままでも、本来の表語文字として用いず、その表意性を無視して表音性のみを借用したものを、かりの文字という意味で「かりな」と称したのである。本来の表語文字として用いる漢字を「まな(真字·真名)」というのに対する称呼であった。奈良時代の『万葉集』などには、漢字の字体のままの「かな」が使われており、それを「万葉がな」と呼ぶ。

五十音図(文語)

010-1

いろは歌


A


いろはにほへと ちりぬるを わかよ たれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて あさき ゆめみし ゑひもせす


B


イロワニオエド チリヌルヲ ワガヨ タレゾ ツネナラン
ウイノオクヤマ キョウコエテ アサキ ユメミジ エイモセズ


C


色いろは匂にほへど 散ちりぬるを わが世よ 誰たれぞ 常つねならむ
有う為ゐの奥おく山やま 今け日ふ越こえて 浅あさき 夢ゆめ見みじ 酔ゑひもせず


Aの「いろは歌」を音読み通りに書いたものがB、意味を考えて漢字仮名交じりで書いたものがCである。

◆いろは歌の意味◆


「いろは歌」は、平安時代に作られた歌謡である。「かな」四十七字をすべて一回ずつ使って、「世のはかなさ」という思想を歌っている。


現代語訳


桜の花の色は美しく輝くけれど、はかなく散ってしまう。同じように我々の世も、だれがいつまでも変わらないことがあろうか。いつも変わる無常の世の奥山を今日越えて行くような人生で、浅い夢を見るように目の前のことにまどわされまい。酒に酔うようにわけもわからず生涯をおくることもないようにしよう。

〈練習一〉


【答案链接】


[1]「いろは歌」のAとBで濁音以外で仮名遣いが異なっている部分を抜き出しなさい。



[は→ワ] [ → ] [ → ]  [ → ]
[ → ] [ → ] [ → ]  [ → ]


[2]前の五十音図のヤ行·ワ行を完成させなさい。


[3]下線部に注意して、次の文を音読する通りに片仮名で書いてみなさい。


① 今 昔 竹取りの 翁と いふ もの ありけり。


② 野山に まじりて 竹を 取りつつ よろの ことに 使けり。


③ 名をば さかきの 造とな いける。


④ その 竹の 中に もと 光る 竹な ひとす ありけり。


⑤ あやしがりて 寄りて 見るに

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